気づきと推し
旅に出ての楽しみの一つは、その土地のお店をぶらつくことである。道の駅、民芸品店等々。見たこともない道具や工芸品に出会うとわくわくしてくる。蛙の置物があった。(写真)ロクロでひかれた丸い棒がそえられている。その棒で背中のギザギザをこすると「ゲロゲロ」と蛙の鳴き声の擬音がでてくる。妙にリアルで面白い。大中小と大きさがあって、声の高さが違う。何度も試しているうちに、欲しくなり中くらいで音の高さが気に入ったものを購入した。この置物を作った人はどのように考えて製品にしたのだろうか。妄想してみた。ギロという楽器は様々な形で世界中にある。背面にあるギザギザをこすることで連続した音を出すことができる。ある時蛙の鳴き声のように聞こえたので、蛙の形に削り背中にギザギザを付けたのか。頭の所をたたくと「ポコンポコン」と木魚の音が出る。木魚をこすって音が出たので蛙の形にして造ったのかとも考えた。口の中は空洞になっていて共鳴し響く。家に桂の木材があったので形を似せて造ってみた。口の中の空洞で音の響きが変わる。
これを使って人形劇が出来ないだろうかと考えた。カエルと言えばオタマジャクシ、オタマジャクシの成長を主題にして、周りの生き物達との出逢いや、体の変化を経てカエルになるまでをと構想が膨らみ、「タマちゃんの冒険」というお話ができあがった。
何かに「気づき」それを推し進める。面白いように展開していき作品が生まれた。
気づきがもとで推理し推測し推論を立てていく。子どもの成長の中でも同じ現象が起きている。
単語に意味があることに気づいた乳幼児は、言葉を少しずつ覚えていく。ものには名前が在ると分かると身の回りにあるものの名前を聞いて覚え、知らないものには名前を付けていく。
この時期、何に出会い気付くかによって興味関心が現れる。
乗り物、動物、昆虫、食べもの。幼児で大人でも知らない単語や意味が出てくる。今、はやりの言葉「推し」である。興味の持ったものに今ある経験と知識から関係を結びつけ、知らないことは聞いたり調べたりして推しのものを広げていく。推測したり推理したり推論を重ねていくことで物事を広く深く理解していく。
小学生になったお姉ちゃんが書き文字を覚えて帰ってくる。家で音を出しながら文字を書いていく。それを観ていた妹が真似をして自分の名前を文字にしていく。妹は話している言葉の音が文字になるんだと認識できた。「あいうえお表」を見ながら音と文字を覚えていく。鏡文字も使われていく、ホモサピエンスが現れて20万年、5500年前粘土の文字盤が発見された。この事から6000~5000年前から書き文字が使われ、文字が一般に使われるようになるのはたかだか数百年、脳の中で、人を認識する部位と同じところが使われる。(ヴィジュアル・ワード・ホームエリア)人の顔や物を認識するのに、左右反対でも問題がない。本人の認識では間違ってはいない。よって鏡文字が生まれる。いずれ社会通念に合わせられる。
ヘレンケラーの「奇跡の人」という映画を子ども時代に観た。思い通りにならないことにいらだち、かんしゃくを起こして暴れていた。自伝を読むとヘレンは1年9ヵ月で視覚聴覚を失う。それまでいくつかの単語を発することが出来た。人形 水 挨拶。
サリバン先生が家庭教師としてヘレンに指文字を教えていく。コミュニケーションを取るための言語活動であった。ものと指文字をつなぐことができた。ある時、かんしゃくを起こし外に飛び出したヘレンに井戸の水をくみ、手を洗わせていたとき、ヘレンに大きな気づきを感じさせた。水を触りながら「Water」と発した。かつて発音していた「Water」と井戸水が結びついたのだ。すべてのものには名前があると言うことに気づき、その時30ばかりの単語を聞き出していた。自伝によると「この夜早く夜が明けないかと思った。自分の周りのものや事の名前を知りたい」と述べている。話し言葉と指文字と物事が結びついた気づきの時だった。これからヘレンは話し言葉を覚え、論文を書き、世界中を講演して回るのである。
新たなものを造っていくときに、気づき、仮説を立てそれに基づいて調べたり、材料を探したり、組み立てたり、作り直したりと 試行錯誤をしてイメージするものに近づけていく。納得や満足が得られた時、完成となる。最初に思考したときより具体的ではるかにいい物になっている。のだが、何年後かに手を加えて、もっと満足の得られるものに変わっていく。気づきは止まらない。
令和6年4月26日 文責 田中 光昭