新猿楽記

平安時代にかかれた『新猿楽記』
『新猿楽記』(しんさるがくき)は平安時代中期の学者藤原明(あき)衡(ひら)による作品と言われている。明衡の作とすれば、彼の晩年、康平年間(1058~65)頃のものと思われる。ある晩京の猿楽見物に訪れた仮の家族を想定し、当時の世相・職業・芸能・文物などを列挙していったもので,当時の人々の様子が鮮明に描かれている。
以下はその書き出しである。

藤原明衡
 予廿餘季以還,歷觀東西二京,今夜猿樂見物許之見事者,於古今未有。就中,呪師、侏儒儛、田樂、傀儡子、唐術、品玉、輪鼓、八玉、獨相撲、獨雙六、無骨、有骨,延動大領之腰支、(虫偏に長)漉舍人之足仕、冰上之專當之取袴、山城大御之指扇、琵琶法師之物語、千秋萬歲之酒禱,飽腹鼓之胸骨、蟷舞之頸筋、福廣聖之袈裟求、妙高尼之緥繦乞、形勾當之面現、早職事之皮笛、目舞之翁體、巫遊之氣裝貌、京童之虛左禮、東人之初京上。況拍子男共之氣色、事敢大德之形勢,都猿樂之態、嗚呼之詞,莫不斷腸解頤者也。
(「新猿楽記」 (東洋文庫 424)藤原 明衡 (著), 川口 久雄 (翻訳) )
【読み下し】
 予、廿余年より以還(このかた)、東西二京を歴観(へみ)るに、今夜直楽見物許(ばかり)の見(み)事(ごと)は、古今に於きていまだ有らず。就中(なかむずく)に呪師(のろんじ)、田楽、傀儡子(くぐつまわし)、唐(とう)術(じゅつ)、品(しな)玉(だま)、輪鼓(りうご)、八(やつ)玉(たま)、獨相撲(ひとりすまひ)、獨雙六(ひとりすごろく)、無骨(ほねなし)、有骨(ほねあり)、延動大領の腰支(こしはせ)、(虫偏に長)漉舍人の足仕(あしつかい)、冰上之專當(ひかみのせんだう)の取袴(とりはかま)、山(やま)城(しろ)大(おほい)御(ご)の指(さし)扇(あふぎ)、琵琶法師之物語、千(せんず)秋萬歲(まんざい)の酒(さか)禱(ほがえ)、飽(あ)腹(はら)鼓(つつみ)の胸(むな)骨(ほね)、蟷(いぼじり)舞(まい)の頸(くび)筋(すじ)、福(ふく)廣(くわう)聖(ひじり)の袈裟求、妙高尼(あま)之の緥繦(むつき)乞、形(けい)勾(こう)當(たう)の面(ひた)現(おもて)、早(そう)職(しき)事(じ)の皮(かは)笛(ぶえ)、目(さかん)舞(まい)の翁(おきな)體(すがた)、巫(かんなぎ)遊(あそび)の氣(け)裝(しやう)貌(がほ)、京(きやう)童(わらわ)の虛(そら)左(ざ)禮(れ)、東(あずま)人(うと)の初(うい)京上。いわむや拍(ひょう)子(し)男(おのこ)共の氣(き)色(そく)、事(こと)敢(とり)大(だい)德(とく)の形(け)勢(はい)、都(すべて)猿樂の態(わざ)、嗚(を)呼(こ)の詞,腸(はらわた)を断(た)ち頤(おとがい)を解(とか)ずというこふなきなり。

【現代語訳】 わたくしは、この二十何年以来、東の京、西の京にわたってずっと見てきているが。今夜の見物ほどすばらしい猿楽の演戯というものは、古今を通じて空前のものであった。なかでも呪師猿楽や侏儒の舞い、ささらや鼓笛ではやしたてる田楽の狂噪、傀儡の徒の木偶操り、大陸伝来の奇術・幻術、品玉・八玉の弄玉の類、鼓を糸上に輪転する斡鼓の類、。それから田の神相手の独力相撲・独り双六、ぐにゃぐにゃの骨無し芸。ごつごつの骨有り芸。それから、ふにゃふにゃ郡長のへなへな腰、えび漉き舎人の達者な足つき。氷(ひ)上(がみ)なにがしが工合がわるくなって逃げ出すときの袴のももだち、山城あねごの大年増ががらにもなく恥ずかしがってさすさし扇。琵琶法師が琵琶を伴奏にして語る物語、千秋万歳の門づけがうたうほがいうた。満腹で腹鼓をうつが胸は鳩胸のあばら骨、かまきり舞いでふりたてもたげる鎌首のなり。これはしたり、檀家に袈裟の寄進をねだる福徳大尽の上(しょう)人(にん)さま、嬰児のおむつをさがし廻る妙高無類の尼さま。素顔をさし出す刑勾当の内侍さま、笛を忘れて口笛で調子をとるあわて蔵人。神楽猿楽の老楽師のおどけた舞いすがた、男待ち顔に遊(ゆう)女(じょ)巫(み)女(こ)がこってり念入りにお化粧をこらしたご面相。下手なわるじゃれをとばしてたむろするやくざじみた いなせの京童の群、東国のいなかからのお上りさんの赤毛布ぶり。ましてや拍子をとる猿楽の囃子方の男どもの熱狂した様子、その一座を宰領する猿楽法師の手馴れたしぐさ有様、すべて猿楽とよばれる雑伎の芸態、そのばかばかしい言葉のやりとり、全く滑稽の限り、腸もちぎれ、おとがいの骨もはずれんばかりに笑いこけさせないものはない。
(読み下し・現代語訳は「中近世放浪芸の系譜 / 渡邊昭五 著」より掲載)

路上で演じられているいろいろな芸能が述べられている。今で言う大道芸なのだが、意味する内容が分かりづらい。

呪師(のろんじ)・・・素ばやい身のこなしで軽妙に走る芸態、曲芸の弄剣で、剣を操りながら走ることも呪師(のろんじ)の藝とも言われている。今の陸上短距離にも似ている。
侏(ひき)儒(ひと)儛(まい)・・・侏儒は小人のこと。身の丈が普通よりずいぶんと小さい人のこと。古くは、滑稽伎を売りものにするのが俳優であり(ルーツは《古事記「海幸山幸」》海幸彦が溺れる様子を演じて見せた)、彼ら小躯はその体つきだけで動けば貴族たちは笑ったであろう。サーカスでも時々このような芸人さんに出会う。観客を笑わせたり、思いもかけないことをやって見せてくれる。
田(でん)樂(がく)・・・田植などの農耕儀礼に笛・鼓を鳴らして歌い舞ったもの。早乙女が簓や笛・太鼓で田植を囃す農村行事の見世物化したもの。後に専門化して田楽その物を見せる田楽法師たちが出てくる。
傀(かい)儡(らい)子(し)(くぐつし)・・・木偶回し、人形まわし。あやつり人形を舞わす芸能。人形劇を演じる人たち。
唐(とう)術(じゅつ)・・・幻術とか手品に該当するか?『新猿楽記』より二、三十年ほど後代の頃に、大江匡房が著した『傀儡子記』に〈沙石ヲ変ジテ金銭ト為シ、草木ヲ化シテ鳥獣ト為ス…〉という記事があり、いまのマジックショーのようにも思われる。
品(しな)玉(だま)・・・刀玉とも書く。弄玉に同じ。短刀とか玉を投げあげてあやつる曲芸。太神楽でも演じられる演目、ジャグリングでも演じられる。
輪(りゅう)鼓(ご)・・・鼓の胴ように中がくびれた形のものに、二本の棒につけた紐をかけて、回転させたり、宙に放り投げて又、紐で受ける。持っている棒で操ることもある。ジャグリングの藝によく見ることがある。(ディアボロ)おもちゃ屋さんでも売っている。
八(やつ)玉(たま)・・・品玉と同じで、鞠・木の玉・木の枕などを宙に放り投げて、お手玉ように演じる。《八在空中一在手中》同時に八つ操ったか? 
獨(ひとり)相撲・・・一人で演じるパントマイム。仮想の相手と力を入れながら、投げ技や掛け技を掛けるのである。相撲巡業を見ると取り組みの合間に「初っ切り」といって二人で滑稽な相撲を見せてくれる。このようなことを一人で演じたモノと見える。
獨雙(すご)六(ろく)・・・十五個の駒を白と黒と互いに並べて勝負をする盤遊戯。二つの賽(さい)子(ころ)で行われることも多かった。丁半を当てたり、同じ数字をそろえると勝ちになるとか、いろいろのルールがあってお金やものを賭けた。その時の賭け子の表情や悔しがる様を演じて見せた。
無骨・有骨・・・体の柔らかさを見せたり、筋骨隆々の力自慢をみせる芸。
延動大領之腰支・・・〈延動〉は文字どおりの延び動く意。〈大領〉は令制でいう郡長。〈腰支〉は腰つき。もったいぶった大領の歩みぶり、を真似たものか…、偉そうに横柄らしく振舞う郡長を笑いの対象にして、憂さを晴らしている下層民の芸が想像される。科白もあって寸劇の様相を見せる。
(虫偏に長)漉舍人(えびすきとねり)之足仕・・・海老を捕る様子を演じたモノか、ドジョウすくいの藝を彷彿とさせる。
冰上之專當之取袴・・・〈専当〉は寺院の事務係。〈氷上〉は、氷の上でつるつる滑りそうな滑稽味の専当の姿態。氷の上でツルツル滑って転びそうなパントマイム、科白(せりふ)もあったかもしれない。
山城大御之指扇・・・〈大御〉は大姐。〈指扇〉は檜扇を顔の前にかざすことから、恥ずかしげな様子を示す。山背の大姐御は、通常は人を顎使して威張った風の姐さん気どりであるが、それでも女は女であって、恥ずかしそうな素振りもたまには見せる…という姿態を演じたものか。
琵琶法師之物語・・・平家物語を語る琵琶法師は有名であるが、それ以前に琵琶法師が存在していて弾き語りで演じたモノと思われる。
千秋萬歲之酒禱・・・千秋萬歲は言祝ぎで村々を回り門付けしていった。その芸人が酒に酔って失敗する様を演じたモノか、笑える演目が出来そうである。
飽腹鼓之胸骨・・・肥満な男が腹一杯に食べて満腹になって、腹鼓を打つような所作で胸骨を上下させて息遣いを荒くするおかし味を演じたか?
蟷舞(いぼじりまい)之頸筋・・・〈蟷螂〉はかまきりのことだから、かまきりが細首をのばしたり、鎌をもたげたりする舞姿であるが、上述の〈無骨〉に同じく、その舞姿は物真似でありながら、アクロバットの如き軽業も混ぜられていたと考える。
福廣聖之袈裟求・・・福広の名義は一財産を貯めこんだ裕福な僧、聖は当時の庶民往生に手を貸した私度僧であるが、善玉から悪玉まで種々の聖職ぶった彼らがいた。彼らを笑い飛ばすような寸劇。
妙高尼之緥繦乞・・・尼にも聖職ぶった者が多かったろう。妙高の名義も訊刺性がある。持戒持律の彼女らが、禁ぜられている男と関係してその胤を宿す。思案投首して、困ったはてに、親しい知人か檀家にその相談に出かけるあわてぶり。檀家に棄て子を拾ったから綴紐(赤ん坊用のおしめ)を用意してくれ、などと嘘を云って、何かの言葉尻からそれが露顕してしまうおかし味などが、想像される。
形勾當之面現・・・美人の勾当が檜扇で顔を隠そうともしない、得意気な所作の物真似か。容貌がもてはやされるのをよいことに、羞恥心の欠如した上﨟を皮肉ったものだろう。
早職事之皮笛・・・〈職事〉は五、六位の蔵人で、諸家の事務職員。〈皮笛〉は、口簫と注して口笛のこと。口笛の妙味と二者の組合せで、面現で顔も翳さない美人の勾当が通りかかって、職事の方を見て微笑みかける。職事の方は、思わぬ美人についつい口笛が出た。その口笛が、あまりの美人の驚きで少し長く続いたところにおもしろ味があったか。職事の手の届かぬ世界の上﨟と、それをひやかす低い身分の職事のやりとりに、半科白性の滑稽味が推察される。
目(さくゎん)舞(まい)の老(おきな)翁体(すがた)・・・〈目(さくゎん)〉は、令制の国司の四等官の最下位。「守(将)」「佐」「尉」のその下で、宮中の楽人は凡そは「尉」もしくは「志」の格で仕えた。通常は雅楽を以て仕えたが、老楽師であまり顧みられぬ彼は、神楽の余興に正式な雅楽ではなく、滑稽な猿楽の舞をした(高野辰之『日本歌謡史』・大15・春秋社)。
巫遊之氣裝貌・・・〈巫遊〉は巫女のこと。巫女はまた歌舞を伴う遊女でもある。〈気装貌〉は、「化粧」や「厳粧」に同じで分厚く化粧した顔で、男待ちの巫女の姿とみられる。
二者を組合せて考えると、老翁と若い巫女ということになる。それは、当時村々の鎮守などで年中行事に行われていた、神祭りの場における、神を象徴する老翁とそれを迎えて巫覡の役割をする村の少女との共感呪術である。これが、上述の『明衡往来』の〈仮りに夫婦の体をなし……後に交接に及ぶ〉と述べる、〈衰翁〉と〈女宅女〉の滑稽解順劇に類似するもの、と考える。『明衡往来』に見たコントに似た新猿楽の状景は、あちこちの大道芸に見られたに違いない。それが、民間儀礼に見慣れた光景だったから、現代のような卑狼という視線ではなく、素直な笑いに繋がっていた…、と考えられる。
京童之虛左禮・・・都会地である京都を彷徨する若者たちが、通行人に戯れかかること。
東人之初京上・・・上京してきた田舎者を馬鹿にする風があったのは、当代も現代も殆ど変らぬ日本人の慣習風俗といえようか。
況拍子男共之氣色・事敢大德之形勢
〈拍子男共の気色〉と〈事取大徳の形勢〉が記される。〈拍子男〉は囃子方で、〈事取〉は宰領者か。〈大徳〉はその宰領者が有徳人のようにすまし込んでいるというような意味であろうか。何れにしても、演じている演技者の周辺にあって、彼らも滑稽な弥次を入れたり、すましている宰領者も、凡て〈猿楽の態〉で、そのばかげた詞は、断腸解頤(お腹がよじれ顎が外れるくらい可笑しい)である、といっている。
(「中近世放浪藝の系譜」 渡邊昭五著より)
難しい漢文の文章からわかりやすい現代語分析まで、解説してくれた研究者諸兄に感謝しかない。
「新猿楽記」の「新」は,何を指しているのだろうか。渡邊昭五氏は後半の寸劇が新しい猿楽と分析しておられる。科白の入った寸劇コントが新たな芸能として出てきた。これは,世阿彌の能楽(ミュージカル)につながり、語りと囃子に人形を加えた人形浄瑠璃、そして歌舞伎の演劇につながっていく。私は「新」がここに述べられた芸能が進化してきていると捉える。かつて見た猿楽の藝がより面白く多彩に高度になって、藤原明(あき)衡(ひら)の目を驚かしこの文を書かせたのではないかと推測する。それにしてもここで述べられる芸能の一つ一つが組み合わさったり,洗練されたりして今日まで残っている。まるで原初生命体が今の多様な生物を今日まで生きながらえさせてきた様子に見える。芸能の遺伝子は書き込みながら私たちの体内に息づいている。